エッセイ

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「レズビアン」というポジションが導き出す可能性  堀江有里

2015.10.08 Thu

レズビアン・アイデンティティーズ

著者/訳者:堀江 有里

出版社:洛北出版( 2015-07-31 )

定価:

Amazon価格:¥ 2,640

単行本 ( ページ )

ISBN-10 : 4903127222

ISBN-13 : 9784903127224

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この夏、竹村和子フェミニズム基金の助成を受けて、『レズビアン・アイデンティティーズ』(洛北出版、2015年7月)を出版することができました。まずは、同基金のみなさま、そして、いまは天国にいらっしゃる竹村和子さんに心より感謝を申し上げたいと思います。また、拙著の紹介文の掲載をこころよく引き受けてくださったB-WANスタッフの方々、ありがとうございます。

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レズビアンとは、いったい、誰のことなのか――自分自身が「レズビアン」という名づけを引き受けて以降、考えてきていることです。本書『レズビアン・アイデンティティーズ』は、そのこたえを簡単にみいだすことができないながらも、先達たちの、また同時代に生きる人びとの言葉のなかを探索したり、「レズビアン」にこだわってピア・サポートや社会運動にかかわりつづけたりするなかで、綴ってきたものです。前著『「レズビアン」という生き方 ――キリスト教の異性愛主義を問う』(新教出版社、2006年[現在、再版準備中です])に引き続き、走りながら、葛藤しながら紡いだ言葉たち、です。

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いま、わたしたちは、カジュアルに、オシャレに、軽やかに生きようとする「レズビアン」たちの姿に触れることができるようになりました。“性の多様性”のひとつのあり方としての「レズビアン」。ウェディング・ドレスを華やかに着こなす「レズビアン」たちの結婚式をプロデュースする商品。それらもまた、この日本で、数々の人たちが生み出してきた努力の結果であり、社会に受容される「レズビアン」たちの姿だと思います。

しかし、本書でえがきだしたかったのは、“女”であり、“同性愛者”であることによって他者化される様相、そこから生み出される“生きがたさ”でした。社会的な位置や経済的な状況などから、どんどんと格差が広がっているのは「レズビアン」たちのあいだでも同様。そこにはしばしば用いられるような「レズビアン・カップル」というユニットではない孤独もあるはずです。“つがい”のかたちで認識される――可視化される――プロセスが、〈個〉を消去していく気がしてなりません。

そのような思いから、本書では「アイデンティティ ――他者と自己のあいだで」、「ソーシャリティ ――国家・制度と自己のあいだで」、「コミュニティ ――人びとのあいだで」という三部構成を立てました。

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わたしが「レズビアン」にこだわって物事を考えてきたあいだ、そのテクストから、とても大きな影響を受けた研究者のひとりが竹村和子さんでした。本書の「あとがき」にもエピソードを記しましたが、日常的な接点はなかったものの、お茶の水女子大学で開催されていたイベントに訪れていた時期があります。テクストとは異なり、“実物”の竹村和子さんはとても気さくに接してくださいました。緊張して向き合いながらも、ときに笑いの共有という貴重な経験。それらはわたしにとって、とてもとても大切な思い出です。そう、場所は喫煙所でした。

竹村和子さんはつぎのような言葉を遺されています。「ユートピア的な超越主体としてではなく、歴史的存在として、(…)女の同性愛という「位置」は、近代の強迫観念であるセクシュアリティの問題系をあかるみにする潜在力をもちえるものである」、と(『愛について――アイデンティティと欲望の政治学』岩波書店、2002年、87頁)。文脈を捨象して誤読することは避けなければなりませんが、わたしは、ここに“性の多様性”のひとつのあり方としての「レズビアン」ではなく、社会構造のなかで生み出されてきた抑圧や排除、差別を問う視点を「レズビアン」というポジションがもっていることを、竹村さんが示唆しているように思えて仕方がないのです。抑圧や排除、差別という現状への“怒り”の共有を求めて、今後も、その可能性を追求していきたいと考えています。








カテゴリー:竹村和子さんへの想い / シリーズ

タグ:フェミニズム / 竹村和子 / セクシュアリティ研究