第21回女性文化賞は、釜石在住の千田ハルさんに決まりましたので、経過を報告いたします。
 女性文化賞は1997年に高良留美子さんが個人で創設され、2016年まで20回にわたって続けてこられた手づくりの賞です。「文化の創造を通して志を発信している女性の文化創造者をはげまし、支え、またこれまでのお仕事に感謝すること」を目的とし、賞金50万円、記念品として女性作家によるリトグラフ一点を贈呈してこられました。2016年12月に第20回をもって終りにされましたが、そのとき高良さんの「志を継ぐ方を」という呼びかけに共感して手を挙げてしまい高良さんと同世代のわたしが「せめて数年でも」と引き継ぐことになりました。

 *第20回女性文化賞についてはこちら
 *過去の受賞歴と米田佐代子さんの「引き継ぎの弁」についてはこちら

 この賞の特色は、組織ではなくまったく個人で選ぶところにあり、選ぶ側の見識が問われるのでたいへんでした。昨年は、資料を集めたり各地を訪問したり「七転八倒」の試行錯誤でしたが、思いがけないご協力を頂いて千田ハルさんにたどり着き、2017年12月11日に発表した次第です。

 千田ハルさんは1924年岩手県釜石に生まれ、育った方です。戦時中釜石製鉄にタイピストとして勤務中、2度にわたる米軍の艦砲射撃を受けて「九死に一生」の体験をされました。戦後「戦争の実態を何も知らなかった」自分をふりかえって「もっと勉強しよう」と職場の学習・文化活動に参加、1947年2月文学や憲法を勉強してきた仲間たちとともに手づくりの雑誌『花貌(かぼう)』発刊に加わって、詩や短歌、随想などを発表、1992年61号からは編集責任者として2004年73号で終刊するまで発行し続けました。
 『花貌』は、釜石の艦砲体験、戦争体験を風化させないために多くの市民の証言を集め、千田さんはその活動でも大きな役割を果たしました。また、戦時中釜石製鉄に徴用工として連行された朝鮮人労働者とその遺族が、日本に謝罪と補償を求める裁判を起こした時は自ら証言台に立って支援、その経験を「艦砲射撃で死んだ朝鮮の青年たち」と題して『花貌』70号(2001年)に寄稿しました。「卒寿記念」に艦砲射撃の体験を絵本にして出版、93歳の今も「艦砲から助かった命だから」と、草の根の地域から平和への思いを発信してこおられます。

 わたしが千田さんを知ったのは、2015年に開かれた「第12回全国女性史研究交流のつどいin岩手」でお話を聞いてからです。つどい実行委員会の中心だった植田朱美さんが千田さんをよく知っておられ、『銃後史ノート』のメンバーでもあったので11.11のブックトークにも來てくださって、そこで相談したこともあり、助けていただきました。『花貌』には千田さんはじめ女性の執筆者も多く、ミニコミ図書館に収録できないかと思いましたが、残念ながら全73冊がそろっていないなどの事情もあって実現に至っていません。それでもなんらかのかたちで、敗戦直後に千田さんが地域で働きながら「戦争って何だったのだろう?」と問い、それを表現し続けてきた意味を、歴史として残したいと思っているところです。
 千田さんご自身「この賞は支えてきてくれた仲間みんなに頂いたもの」と言っておられるとおり、釜石ではみなさんが喜んでくださり、授賞式などはしませんが「お祝いの会」をしようと準備中です。津波の被災地でもあった釜石に少しでもお役に立てばうれしいのですが…。詳しくは米田のブログ(米田佐代子の森のやまんば日記)をご覧ください。