女性学ジャーナル

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  • 女たちの声(日本編)

    2019/04/08

    • リサーチ

    著者名:井上 輝子 ・ 上野 千鶴子

    井上輝子(いのうえ てるこ):1942年東京生まれ。和光大学名誉教授。1970年代初頭のウーマンリブ運動に参加する中で女性学と出会い、1974年から和光大学で女性学講座を担当。2012年に定年退職後、和光大学GF(ジェンダーフォーラム)読書会〔詳細はWAN女性学講座を参照〕を、企画・運営してきた。主な著作は、『新・女性学への招待』(有斐閣2011)、『田中寿美子の足跡―20世紀を駆け抜けたフェミニスト』監修(アイ女性会議、2015)など。    上野千鶴子(うえの ちづこ):1948年生まれ。平安女学院短期大学、京都精華大学、東京大学大学院等を経て現在東京大学名誉教授。女性学・ジェンダー研究のパイオニア世代。セクシュアリティやケアにも関心が。WANには設立から関わって、現在3代目理事長。ウェブジャーナルを作るのは当初からの夢でした。著書に『家父長制と資本制』『差異の政治学』『生き延びるための思想』(以上岩波書店)『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)『<おんな>の思想』(集英社インターナショナル)『女ぎらい』(紀伊國屋書店)『女たちのサバイバル作戦』(文春新書)『ケアの社会学』(太田出版)など多数。

    女たちの声(日本編)

    論文概要:

    概要はなし

    コメンテーター:治部 れんげ(じぶ れんげ)

    タイトル:フェミニズムは人生に効く薬




     
     少なからぬ女性が社会に対して違和感を覚える時期がある。例えば数年を主婦として過ごした後、学歴や能力に見合わない低賃金労働しか提示されない時。あるいは愛して結婚したはずなのに、出産後は家事育児などケア労働を妻に任せて知らん顔をしている夫に気づいた時。または残業できない人を二級労働者扱いする職場文化に接した時。多くの女性が「日本には女性差別がある」と気づく。

     たとえフェミニストの自覚がなくても、ここに記されたアンソロジーを読むと「私の問題が書かれている」と思うだろう。明治維新から現代まで、日本の150年におけるフェミニストの思考と主張、分析、そして怒りの歴史だ。取り上げられた論文や寄稿のテーマを出版年と合わせて見ると、女性を取り巻く根本課題が1世紀を経て「変わっていない」ことに驚く。

     例えば伊藤雅子「子どもからの自立」は1975年の出版である。母親に対する過剰な期待と自らそれを内面化して生きてきた女性に、個としての生き方を問う言説は、今も雑誌「婦人公論」でよくみられる。そして、その「婦人公論」には、今から60年以上も前の1955年に石垣綾子「主婦という第二職業論」が掲載され、他媒体、男女識者を巻き込んで「主婦論争」が起きた。議論の核となるのは、無償で社会的には評価されない一方、過重に愛と献身を求められる「主婦という仕事」の矛盾するありようである。
     
     多少はフェミニズムの知識がある人も、第二波フェミニズムや主婦問題の火付け役はベティ・フリーダンの「フェミニン・ミスティーク」(1962年)だと思っていることが多い。先行して日本で質の高い議論があった事実は、もっと広く海外に知られるべきだ。
     
     近年、母親がひとりで育児を担う「ワンオペ育児」が社会問題として認知されるようになってきた。問題の本質を上野千鶴子「家父長制と資本制」は次のように看破する。「家事労働という不払い労働が「層としての女性」に課せられている事態こそ、女性抑圧の物質的基盤であり、この物質的基盤の変革こそが、フェミニズム革命の目的である」。
     
     この事実は本質を突いているがゆえに、当事者の強い心理的抵抗を呼び起こす。夫婦は愛で結ばれた共同体であるというロマンチック・ラブ・イデオロギーを、女性も強く内面化しているためだ。私はこれを「可愛い妻問題」と呼んでいる。諸条件に恵まれれば、女性にも仕事と育児の両立は可能だ。しかし、仕事と育児と可愛い妻の3つを同時にやることはできない。「どれか1つをやめて下さい」と言うと、多くの女性が反発する。
     
     この文書はもともとスペイン語圏で出版するため作られた。日本語で先行する類似文献がないことを踏まえ、特別に日本語でも公開したものである。本アンソロジーには、他にもリプロダクティブヘルス/ライツ、性暴力、家制度など、女性を取り巻く諸課題を150年前に遡って記している。早いうちに読むほど、自分を縛っているものに気づきやすい。フェミニズムが人生に効く薬であることを、若い世代に知って欲しい。

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    2019/09/09

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    コメンテーター:上野千鶴子(うえの ちづこ)

    論文概要:

    本論は、1970年代から1980年代初頭にかけて日本で発表された女性学第一世代の女性学に関する論稿を考察し、各研究者が初期の段階において何を問題化したのかについて論点整理を行い、草創期の女性学像を明らかにするものである。 加えて、日本では稀有だった分離型女性学を創設した水田宗子の思想を考察し、その水田が設置した城西国際大学大学院を研究の場としてきた私の立場から、私自身にとって女性学の場の意味は何であったのかを振り返るものである。 考察の結果、女性学とは、性差の権力関係を問題とし、その事態の解消を目指して、既存の学問体系に対峙する女性学的知性を構築する営みであったことが分かり、各研究者の女性学にコミットする「当事者性」を捉えることができた。また、私自身の立場から女性学とは、性差の権力構造の中で言語化できなかった個別の経験を言語化することによって、その問題構造を問い、一人ひとりがそこから解放されていくプロセスであったことを振り返った。すなわち女性学は、実存と切り離せない、各個人のフェミニズム意識の実践の場であることを結論づけた。 My position in the women's studies that Mizuta Noriko created: Reconsidering the women's studies in its founding period in Japan This paper examines the discourses of the founders of women's studies from the 1970s through the early 1980s in Japan, so as to clarify the point of argument of each scholar and how respective idea of women's studies was formed, with a special focus on Mizuta Noriko's works. Mizuta was only one in Japan who founded an independent course of women's studies, namely, the department of women's studies and its graduate school at Josai International University. Based on my personal experience as 2 one of her students, I try to accommodate what it meant to me to belong to this particular academic community, to be called a separatist strategy. By my recollection of my personal experience, I argue the following: women's studies is the product from the struggle of construction of women's knowledge; it is determined to confront the system of established academic disciplines, with the goal of eliminating gender discrimination, by questioning gender from the perspective of power relations. In this respect, personal commitment is important for individual scholars. Women's studies meant a process of self- liberation for me through which I could express my personal experiences that could not be done in the gendered structure. In conclusion, women's studies at Josai was a site of practice of my feminist consciousness, which is inseparable from individual existence.

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    2019/05/09

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    論文概要:

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    論文概要:

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