女性農業者の活動を追いかけて、日本全国を飛び回る食ジャーナリストの金丸弘美さん。この9月で26回を重ねた連載「金丸弘美のニッポンはおいしい!」はWANの人気企画のひとつ。記事を読んで、「こんな風に頑張っている女性たちがいるんだ!」と励まされる方も多いはず。
実は金丸さんが食分野に関心を持ち、取材するようになったのはご自身の子育て中に、子供たちにアトピー・アレルギーが増えていることを知ったのがきっかけ。「なぜこんなことが起きているのか」「いったい私たちは何を食べているのか」という素朴な疑問からスタート活動を通して、日本の食の変遷と未来を考えるきっかけをくれる連載をお届けします。


食の現場を知らないから現地へ行く
幼稚園の送迎から、子どもたちのアトピーが多いと知り、「日経ヘルス」で取材をし、記事を書いたたころ、「アトピーの本を書きませんか」と廣済堂から話があり、書籍「アトピーに克つネットワーク」を出版することとなりました。

 そのあと、アトピーの本を制作した女性の編集者の方に「アトピーを治すために大切なのはなんですか」と訊かれ、「食です」と答えたことがきっかけとなって、「おいしくて安全な食べ物ガイド 」(廣済堂出版)という、農産物を中心としたお取り寄せの本を出すことになります。

当初は口コミやアトピーの取材で知った有機農業家から紹介された、食材を紹介しようと思ったのですが、自身が農業のことやどんな作物があるのかよくわかっていない。現場に行かないとよくわからないと、食の旅が始まります。
というのはこんなことがあったからです。
アトピーの取材で、アトピーの親子を支援する団体があり、取材をすると野菜の宅配をとっていました。そのダンボールには、農薬も化学肥料も使っていない「有機野菜」と書いてありました。しかし、中を観ると、しわしわで、とても美味しそうに見えません。「これって、現地に行かれたのですか」と尋ねたら、「行ったことありません」。「じゃあ、なんで安心って分かるんですか」「有機と書いて売っているから」という答えでした。

「これは、現場に行かないと本当のことが、わからない」と思ったのが現場取材へと向かうきっかけ。1996年のことです。
 有機食品の検査認証制度がJAS法に導入されたのは平成11年(1999年)。つまり当時は、有機認証制度がなく、勝手に「有機野菜」と表示して、高く野菜を売る業者もいたというわけです。一方、JAS有機を取得するには、費用もかかることから、あえて取得しないで、現場との交流を行い、情報を公開している農家もあります。この場合は、有機野菜という言葉はつかえません。

●有機食品の検査認証制度(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/yuuki.html

ちなみに有機農産物が注目されて、国内では農地面積が増えたといわれますが0.6%(2021年)です。先進国でも最低の水準となっています。
 国は、有機栽培の面積を2050年に100万ha。農地全体の25%まで伸ばすと言っています。この背景には、SDGsもあり生物多様性、環境に配慮した取組が国際的に推進されていること。ロシアによるウクライナ侵略で、化学肥料や化学農薬の原料が入らなくなり肥料代が高騰していること。農産物の輸出で、日本の農薬基準が海外では適合せず、禁止農薬になっているものもあること。有機農産物(オーガニック)の需要が高いこと、など、さまざまな要因があります。

●有機農業を巡る事情(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/seisan/kankyo/yuuki/attach/pdf/meguji-full.pdf

発信力を高めるためにライターの勉強会をスタート
 アトピーの取材がきっかけに有機栽培や無農薬・無化学肥料などの農産物の食べものガイドをつくることとなりました。何人かのライターの協力も得ました。
 実はフリーランスライターになったとき、勉強会をスタートしました。
1993年のことです。それまで出版社で、また編集プロダクションにいて、フリーランスの立ち場が決して良くないこと実感していました。また、自分でも本を出したいと思ってもいました。
そんなことから、東京都品川区大崎の商店街のビルの空きスペースを借りて、勉強会を始めました。とりあえず5回。ダイヤモンド社、毎日新聞社、リクルート、マガジンハウス、無明舎など。編集長クラスや現場の方を呼んで、出版企画の仕組みや、どんな仕事がされているのか、なにが売れる本なのかなどを学んだのです。同時に人脈を創るのも目的でした。
5回で解散する予定でした。しかし、参加した人から続けて欲しいと言われ、「ライターズネットワーク」という任意団体を創り、さまざまな出版社、書店、テレビ局、ラジオ局、作家など、これはという人を口説いて講師に来てもらい、70回以上のセミナーを開催しました。これによって仕事の依頼を受けて広がり、本の企画書の作り方も学び、本の出版へと実践に繋ぐことに大きく広がることとなります。

●ライターズネットワーク
http://www.writers-net.com/

現在の田んぼにはホタルもメダカもいなかった
『本物の味 産地直送ガイド』(廣済堂出版 1997年) を創ったことで、お取り寄せの連載や食のガイドブックの依頼が舞い込みました。情報の収集は、知り合いや仲間からの口コミからでした。都内では自転車で農家もめぐりました。
しかし農業の現場がわからない。よく知らない。どこを取材していいかもわからない。バブル期の1990年の頃からしばらくは、農業は叩かれていました。「補助金頼り」「合理化されていない」などなど。どちらかと企業本位の目線で、もっと合理化すれば、よくなる、大量に売れるなど一方的な内容が多くありました。
 また農業のことを書く雑誌が当時はほとんどありませんでした。農協関係か農業新聞など限定的でした。
 そんなことから口コミからの取材が始まりました。知りあいから農業の現場の紹介を受けて訪ねました。

今でも忘れません。千葉の農家に行ったら「どこから来たの」と鼻であしらうような対応。「東京からです」と言うと、紹介された無農薬で栽培をしているという農家の方から「東京の人は元気だよね。あれだけ野菜に農薬ぶっかけても死なないしな」と、言われたものです。その方は、農家が高齢化し、また合理化するために、農薬散布用のヘリコプターが使われていること、その農薬が風で飛んでくることなども、話してくれました。農薬が何度もかかった車の塗装の色が変色したといった話もありました。驚くばかりの私に、何も知らないなと、思われたのでしょう。

紹介してもらった農家を尋ね、「農薬や化学肥料は、どの程度使っていますか」と訊くと、「できるだけ使わないようにしています」と答えが返ってきて「できるだけ」というのが、なにを基準にしているのかさっぱりわからない。「どうやって作るのですか」というと「心を込めて」など抽象的な言葉になることも多くありました。

小さい頃の田舎のイメージがあるから、「蛍やメダカはいますかね」というと「いるわけないだろう」とも言われました。  実は、田んぼの米の生産をあげるために、田んぼが整備されて、田んぼの周りも水路もコンクリートで固められていて、水の管理がしやすくなっている。このために水路や田の周りにいた生き物が生息できる環境がなくなっていたのです。

水稲栽培をする農家には、栽培歴が農協から配布されます。これには栽培するためのポイントがカレンダーとなっていて、苗の植え付けから、収穫までの工程や、肥料の入れる時期などと同時に、いつの時期に除草剤を蒔くか、どの時期に殺虫剤を蒔くか、化学肥料を入れるかが書いてあります。農薬の種類が多くあり、次期にあわせて農薬や肥料を入れることとなっています。とくに種籾消毒には強い農薬が使われ、それが、水辺の小さい生き物を殺してしまう。
種籾を消毒するのは「馬鹿苗病」と呼ばれる菌を防ぐため。籾種が感染すると稲が育たないからです。

小さい生き物がいない環境になると、それを捕食する鳥たちもいなくなる。などなど、現場に行って、多くの農家や、現場の研究をする方々にひとつひとつ教わりました。
 農薬が大量に使われた1970年頃、農薬の害が広く報道されましたが、農家さんに何度も通ううち、やっと信頼されて、農薬を大量に導入された当時健康被害にもあったことも知りました。

稲づくりを紹介する消費者参加の会を開く
「本物の味産地直送ガイド」(廣済堂出版)という食のガイドブックを創ることになったことから、千葉県と茨木県の農家に肥料を納める業者さんから声がかかります。「農薬も化学肥料を使わず、どじょうや、タニシがわんさかいる田んぼがある」。
 そこで現場に行ったのでした。当時、小さい頃の田舎の風景があるので、「ドジョウやタニシがいるのはあたりまえだろう」と思っていたのでした。ところが前述したように田んぼの環境は大きく変わっていたのでした。

「本物の味 産地直送ガイド」(廣済堂出版)の表紙


 紹介された農家さんは、農薬や化学肥料を減らしたら、ドジョウやタニシが増えて、それを食べにくるサギが増えたとのこと。環境を守るために農薬を減らしたのではなく、米が安い、それでできるだけ節約しようと化学肥料も農薬も減らしたら、タニシやドジョウが増えたというわけです。

 田んぼを紹介してくれた有機肥料の販売の会社さんは、自分の会社を宣伝したいという思いからだったようです。
 その田んぼをガイドブックで紹介したところ、農業の栽培技術指導をしていた方から「消費者に直接米を売りたいがどうしたらいいか」と、相談され、「直接、消費者に話せばいいでしょう」と話したのでした。
ちょうど、ガイドブックの編集に参加した女性スタッフが広尾のマンションに住んでいて、1階にホールがあったので、そこを借りてもらいました。農家の方を読んで、米のできるまでを写真を多く使い紹介し、そして炊き立ての米のおにぎりと糠漬けを出すというイベントを企画したのです。

 米栽培では種籾消毒で農薬を使わず、昔のように60度Cの温湯消毒で行う。苗を育て、田植えし、それが分蘖(ぶんけつ)し、成長し、稲が実るまでを、写真を多く使い紹介するというもの。
 最初、「そんなこと消費者に話してわかるのか」と言われました。「わからないから話すんです」と私。そして多くの知りあいに呼びかけました。会場は満員、立ち見になりました。  さらに参加した方から「田んぼに行ってみたい」と話になります。そこからツアーを組むこととなりました。

 ツアーを組むために、受け入れ農家になってくれるという茨城県稲敷市、千葉県香取市の農家さんに行くと、お母さんたちが、張り切って料理を作る算段をされていました。でも私は、「料理を作らないでください」とお願いしました。
「なんで。せっかく東京から来るのに」とお母さんたち。「米を売りたいのに料理を出したら米が目立たない」と話し、提案したのが、米を釜で薪で炊くのを見せること。そしてトッピングで、手作りの梅干し、漬物、手作り味噌などを置く。それに海苔、塩は天然縁。前菜として、採れたてのキュウリ、トマトなどを、桶に置く。農家そのままを演出するものでした。田んぼでは、田植えの様子や、生き物たちを見てもらう。小川では、竿を出しザリガニ吊りができるというものです。

●年間1人当たりの米の消費量(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0405/05.html

「日本の食料 - 農林水産省」「日本の食料を学ぶ」より
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2302/pdf/aff2302-01.pdf