10月4日開催のWAN上野研究室のゼミは木村朗子『その後の震災後文学論』の書評セッションでした。
参加者のレスポンスカード(レスカ)です。

・私はDV被害を体験し、小3の時に性被害にもあったことで、今は支援者として生活しているが、死んでしまった側からの声にならない声を感じながら生きているところもあり、まだテキストを読んでいないが、是非読みたいと思いました。
・ノンフィクションだからこそ、理由も無く沸き起こる理不尽な暴力の恐ろしさについて、深くて広い視点で描けるものだと思いました。
・木村さんの本がベクトルを持っていて、紹介されている本を読者が読みたいという意志を持つエネルギーを沸かせる…という岩川さんの解釈は、とても説得力があります。それもまた、「文学の力」なのだと思います。この本は「文学の新たな解釈」を私に教えてくれました。
・(木村先生へ)社会学者(上野先生)と文学研究者(木村先生)の考え方の違い・やり取りが非常に面白かったです。
 韓国映画が好きなので、光州事件を扱った映画は数本観ました。ハンガンさんの小説、是非読んでみたいと思いました。
・母性論の話がうまれることが、この会の役割のような気がしました。書評会とはいうものの、今の文学、社会に対して様々な価値観があることを知ることができておもしろかったです。
・フィクションとノンフィクションの差異に関して、近年の「社会学」ジャンルでも、文学の言葉で書かれたものが目立つようにも考えています。証言者や当事者の言葉を生き生きと書きおこす近年の仕事はどこまでフィクションとノンフィクションのカベを破るのか、ということを考えました。
・難しかったですが、とても興味深く読ませていただきました。死者の亡霊について(能の世界のシテのように)、心の中の墓石として持っているのではなく、一緒に生きているという思いに気づかされました。たしかに、この本は始まりだと思います。
・「震災後文学」は、いま「震災後」を視点として全ての文学を名指せるものになったように感じます。
・(岩川先生)「言論統制のような圧力」という表現は非常に共感しました。又新たな戦前を私達は歩んでいるのではと思いました。只、「抗って」いる部分には戦前にはない希望を感じました。正に人権にかかわる問題だと思います。
・(木村先生)震災後をこうも簡単に忘却する日本人は「敗戦後の姿と全く同じなんだ」と思いました。思考停止を続ける今、ポストフクシマは70年前のポストヒロシマ。2つの時代を比べ、現代は長期的な凋落の中にいるだけ、更に不安は増幅していると思います。
・美しい顔は私は読んでいないのですが、「大御所」の人たちの評価で読めないまま、なのは残念だったなと思います。
 母性の話にツッコミを入れてくださったのに心の中でめちゃくちゃガッツポーズしてました。百万回拍手です。
・戦後思想は表象不能性(ホロコーストが代表的だと思う)から始まると思っているので、安易に文字におこすことができないというのが文学賞が震災ものを避けがちになるということだと思います。フィクション/ノンフィクションの二分法はもはや有効ではないのでは。

概要はこちらです。