第2期WANフェミニズム入門塾の第6回講座が2024年1月25日(木)に開催されました。
今回のテーマは「セクシュアリティ」。講座生3名が自身の言葉で書き上げたレポートで、
当日の講座の様子が少しでもみなさんに伝わればと思います。


第6回 セクシュアリティ 受講レポート   RH
快感に支配されるということ――性的虐待当事者として――

■はじめに
今回のフェミ塾の中で、「男性にとって最上級の支配は性、快感で支配すること」
というような言及があった。そのような「男性にとっての最上級の支配」の対象が成人ではなく、
子どもに向かった場合、どのようなことが起こるであろうか。特にその男性が実父や義父という、
その子にとって重要なおとなであった場合、その子のその後の人生はどのようなものに
なっていくのであろうか。一つの事例として、当事者としての私の体験を述べたいと思う。

■性虐待の実際(私の場合)
ここから少し私が経験した性的虐待の話をする(自分でも苦しいのでかなり端折りますが、
生々しい内容なのでこのパラグラフは飛ばして読んでいただいても大丈夫です)。

小2の時、母が再婚した。私は一人っ子で、義父、母、私の3人家族となる。
義父は母より10歳以上も年上で、バツ2の書道家であった。クセが強めで、到底子ども好きとは
思えない義父であったが、なぜか「血の繋がらない親子が仲良くなるために」、
同居初日から毎晩私と二人で入浴した。初めのうちは、私は性器をものすごく丁寧に洗われ
不思議に感じながらも、全身がジーンとする快感を味わった。義父は自分のペニスは触らせず、
ひたすら私の陰部を指で絶妙なタッチでいじり、浴槽の縁に私を座らせ、大きく脚を広げさせた。
私の太腿の間に顔を埋め、クリトリスを舌で勢いよく舐め回し、私は強いオーガズムに達した。
小3だった。その頃より私はマスターベーションに耽り、義父は私がもっと楽しめるように、
マッサージ器やバイブを使用したり、母が不在時に居間でエロ小説を読み聞かせながら
私を愛撫したりして、私がオーガズムに達するのを喜んでいた。
中1の頃までそのような生活が続いたが、中2からはさすがに入浴を拒んだ。
中3のある日、夜中にふと目が覚めると義父が全裸で枕元に立ち、大きく膨れ上がったペニスを
口に突っ込まれた。その直後、生温かい精液が顔中、口中に広がり、心底気持ち悪く、背筋が凍り付いた。

■その後
その後まもなく両親は離婚したが、私への性的虐待が直接の離婚原因ではなく、
私は母についに何も打ち明けることができなかった(母は19年前他界した)。

義父と離れた直後、中3の頃だったが、義父を駅のプラットフォームから線路に突き落として
殺す夢を何度も見て、冷や汗びっしょりで夜中に飛び起きた。少し遡って小3~小4の頃は
学校の授業中にしょっちゅう幽体離脱のような感覚に襲われていた。
10代後半からアルコールに依存し、酩酊するまで飲んで誰とでも寝る性的逸脱の時期もあった。

これらは、後に心理学を学ぶと、トラウマや解離、アディクションの教科書的な反応だと分かり、
知識を持つことによって問題が整理でき、少し救われた気持ちにもなった。
だが、知的な理解だけではどうにもならない、圧倒的な罪悪感、ものすごい恥の感覚が
私の身体中に刻み込まれていた。自分をとてつもなく汚らしいと感じ、自尊感情が異常に低く、
自分の価値を見出せず、誰かの役に立てると思えることでかろうじて自分を保てると感じていた。
自分が生きていくために、対人支援の仕事に没頭した。

■フェミニズムとの出会い
対人支援の仕事を続ける中で、女性や子どもの支援に関わっていると、DVや虐待が
直接問題にされていなくても、その背景には必ず暴力の影響があると分かる。
病気や障害などの理由で保護施設に入所した女性の背景には、ほぼ100%幼少期に受けた
暴力の影響があり、彼女たちの多くは何らかの性的被害を経験していた。
身体的虐待が理由で保護される女児の多くは、何らかの性的被害も受けていた。
支援者としては暴力と支配の関係や社会の構造から問題を理解する必要があり、
さまざまな研修やDV支援者トレーニング、支援者仲間のグループなどでフェミニズムを学んだ。

50代になってから、ようやく自分自身の過去に向き合い、ごく限られたクローズの場ではあるが、
自身の経験を語ることができるようになった。
ここまで来るのに約半世紀。
それでも今回のように「快感に支配された」屈辱を話すことは、まだできていない。

■「性的虐待1%」の意味
2000年に児童虐待防止法、2001年にDV防止法が制定され、それまで単なるしつけや夫婦喧嘩として
片づけられ、なかったことにされてきた家庭内暴力の存在を、国が初めて認めることになった(信田,2015)。
これまでなかったことにされ、「見えない問題」であった配偶者や子どもへの暴力のデータが存在
するようになった意義は測り知れない。
実際、令和4年度のデータでは、DV相談12.2万件(被害者の97.3%は女性)(内閣府, 2023)、
児童虐待については毎年過去最多を更新しており、21.9万件(こども家庭庁, 2023)となっている。
これだけ見ると、この20年余りで「見えない問題」の「見える化」が急激に進み、
社会の問題意識もだいぶ高まってきたように思う。ただ一つの問題を除いては――。

そう、未だに「見える化」が進まないように感じる「ただ一つの問題」とは子どもの性的虐待である。
令和4年度の児童虐待データの内訳は、心理的虐待が最多で59.1%、それに対し性的虐待は
たったの1.1%である。この傾向は例年変わらず、都道府県など他の同種のデータでも
毎年同様の傾向が見られる。

しかし、「性的虐待1%」という数値は実態とあまりにもかけ離れており、
支援現場の感覚としてはあり得ない。この「1%」というデータの数値をどのように
解釈すればよいのであろうか。近親者による性的虐待の傷は被害当事者に後々まで
重大な影響を与え、言語化も阻まれるため、この問題を「見える化」することは、
やはり困難なのであろうか。

確かに、この「1%」という数値を量的データとして見れば、性的虐待の問題は全く
「見える化」されていない。しかし、私は、この「1%」は質的データとして解釈すべきである
と考える。児童虐待相談件数が毎年過去最多を更新している中で、性的虐待だけは
全体の「1%」しか相談できていない。つまり、言葉にすることがどれほど困難で苦しいことか、
この「1%」が雄弁に物語っているではないか。
「1%」というデータの量ではなく、意味(質)を考えることで、問題の本質に近づき、
より深い意味での「見える化」が可能になると思われる。

性的虐待の実態はさまざまであろうが、子ども期に長期にわたり養育者から「快感による支配」
を受けた場合、「経験を言葉にして話す」「誰かに相談する」ということは非常に難しい。
トラウマの記憶は冷凍保存されると言われるが(白川, 2016)、出口がなく自分の奥深くに
固まったまま直視できずにいた怒りを、今は少しずつ溶かしながら、自尊心を回復する道を
ようやく模索できるようになってきたという感じである。
このような経験をしながら生きている女性は「決して例外的な少数者ではない」。


第6回 セクシュアリティ 受講レポート   黎安琪(リ アンチー)

20代後半に最初のガールフレンドと出会うまで、ヘテロノーマティヴィティがいかに
ありふれているかに気づかなかった。周りを見回しても、主流のマスメディアでレズビアンの
カップルが表現されているのをあまり見ることがなかった。LGBTQ+のコミュニティが映画や
テレビ番組で表現されていても、レズビアンではなくゲイの男性カップルが登場することが多く、
たいていはステレオタイプなものだ。しかも、これはカナダという、しばしば進歩的であることを
自負する国での話である。

私個人としては、恋愛において性別はあまり気にならない。
私は人と人とのつながりをより重視する。
そういう意味では、バイセクシュアルやクィアと言えるかもしれない。

しかし、上野先生が私たちに「このなかで100%ストレートだと言える人はいる?」
と問いかけたとき、その沈黙が私の心に響いた。
そして、メインストリームがマイノリティに問う質問: 「あなたは何者ですか?」
このように、自分自身を分類し、決められた安定した形で自分を表現する必要性は、ストレスになる。

私は何者なのか?もう答えたくない質問かもしれない。


第6回 セクシュアリティ 受講レポート  Sougue

1月のテーマは「セクシュアリティ」でした。
とてもシンプルな質問に、考え込んでしまいました:自分の性は何か?自分の性的指向は何か?
「自分の性は、つきあう相手と反対の性。性的指向は相手の性、つまり自分は異性愛者」
と考えるのが自然だと思っていました。それは社会的にもそう仕向けられる下地
(異性愛規範、水路づけ、人口維持のための)があったからで、なぜそう思っているのか、
言い切れるのか?と問われると、しどろもどろになってしまいます。
初めてつきあった相手が異性だったし、とくに疑問は感じていない、、とか。
つまり異性愛しか経験していない。同性愛を経験して否定した上で、自分は異性愛者だ、
と確定したわけではないことに気づきます。

「同性愛」について
「同性愛」と聞いて、拒否感や嫌悪感を感じるとしたら、性的行為を想像するからでしょう。
「性愛」はセックス込みと考えられがちです。
けれども「セクシュアリティ」は“耳の間“=脳の活動であって、“股の間“ではない。
セクシュアリティとセックスは別。そうと知ると、少し落ち着いて考えてみることができると思います。
(グッとくるかゲっとくるか、の回答の比率もだいぶ変わるのではと思います)

性的行動を抜きに考えたら、同性どうしの良き関係(好意、友愛の情、価値観の共有、
仲間意識、等)は大切なものです。
今回の入門塾で知った「レズビアン連続体」(アドリエンヌ・リッチ)は、
受け入れやすい考え方でした。ヘテロ女性の持つ同性への思いと、ホモ女性の同性への
指向は連続している、という説です。
「異性と付き合う/結婚して家庭を持つことが一番大事」と水路づけされた世の中にいたら、
確かに恋人や家族がいたら女友達と会う時間は激減して、優先順位も下げざるを得ないけれど、
だからといって女友達の重要性はちっとも減っていない、ということです。
同性の友人を好きだし、ずっと会っていなくても長く続く友人関係を大切に思います。
私は女子大出身だったので、(あの年代に異性を「つねに」意識せずに済んだという意味で)
リラックスして過ごした日々が桃源郷のようにも思えます。
このような気持ちに名前があったという発見です。

(同性の性的行動に「不気味さ」を感じるなら、異性との行為も同じく「不気味」です。
異性の性器は気持ち悪い!←これは、数十年前に雑誌で見て忘れられない、
草間彌生さんと花代さん(当時すごい人気者)の対談にあったことです。
脱いだ靴下がクサイ、と同じレベルで楽しげにおしゃべりしていて、有名人がこういうこと
言っている、男性も読むようなデザイン雑誌に!と嬉しく思いました)

一方、男性の場合のホモセクシュアルについて、
ヘテロセクシュアルな男性は、社会的には「ホモソーシャル」の中で、
「ホモフォビア」の傾向があります。ヘテロの男性がホモを嫌うのはなぜか?
その理由のひとつに「恐れ」があるのではないでしょうか。
ヘテロの男性は、相手(女性)との関係において、性格や行動に関してはどちらが
リードを取るかはそれぞれでしょうが、身体の凹凸で言うと凸経験しかありません。
だから凹経験(または本来の使い方ではない所の使用)は、未知のものです。
未知のものが怖いのは当然ですし、慣れるものではありません。
(ヘテロの男は女になるのがそんなに嫌なのか、女をそんなふうに見てるのかぁ)
“耳の間“だけを考えれば、その恐怖は起こらないはず、ホモフォビアを抱かずに
友情について考えられると思います。
案外男性も連続しているかもしれません(?)

男性の体内には女性ホルモンもあり、濃度や男性ホルモンとの比率もコントロール
されるので、本人の気持ちに関わらず「100%男」は生物学的にはいないのでしょう。

「対幻想」について
フェミニズムの観点からの上野先生の「対幻想論」はとても明快で、三つの「幻想」の
相互関係を理解しやすく、面白いです(上野先生の発明した「図」は、どれも最高に面白いです!)。
既存のいろんな人間関係や社会に当てはめて考えてみたくなります。

対幻想が楕円であれば、同心円として整列できない。場合に応じて正円/楕円を
切り替えるなら、器用というかズルというか?矛盾があります。
共同幻想のスケールが実感できないほど大きいと不安になるのか、実感させずに
取り巻いているのが共同幻想なのか。その状態が「鼓腹撃壌」?

夫と意見が対立した時には、「第三者の視点」が欲しくなります。それは「自己幻想どうしが
衝突し、対幻想が崩れ、一般常識=共同幻想、または第三者と私との対幻想でもって、
私の個人幻想を増強したかった」と説明できるでしょうか。

これまでの自分の人生を「大きな組織に勤めていなくて、孤独すぎず、軋轢が生じても
自分で処理できる程度に共同幻想が小規模だったからやってこれた。問題は対人(対幻想?)
で解決してきた」と、解釈してみました。それが、私がフェミニズムと出会うのが遅れた理由です。
「おんな性」を不当に無いものにされた実感が私にはあまりなく、アイデンティティが揺らぐことも
「男女間」ではしばらくありません。自分は精神的にも成熟している「熟女」ではないことを認めます。
対幻想を、異性どうしの間にあるものと限定せず、性以外の性質で相手との相互補完も対幻想として
考えることができるなら、頭の中を整理するのに役立ちそうです。世の中でうまく生きるのが難しい
と感じる場合にも、助けになると思います。

文献が難しく、間違った解釈のうえにこんなに長く書いてしまっていたらお恥ずかしいです。
興味深い思想と出会えました。


☆関連サイト☆
・【選考結果メールを送りました】 WANフェミニズム入門塾 第2期生を募集します!
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・第2期WANフェミニズム入門塾【動画を見て話そう】 第1回「リブとフェミニズム」レポート
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