祐子先生が亡くなられた。漱石の『こころ』の冒頭に、「その人を常に先生と呼んでいた」「その方が私にとって自然だから」という箇所が出てくるが、祐子先生も私にはそういう存在だった。 そのうち京都へ出かけてまたお目にかかりたいと願っていたが、すでにお会いするのは難しいと聞いて落胆していたところだった。それにしてもこんなに早く訃報を聞くとは 。
穏やかで知的で、しかもおしゃれな女性。研究者としてもたくさんのことを学んだが、祐子先生は私にとって、ああいうふうに年老いていけたらと思わせる、そういう方だった。
初めてお目にかかったのは2003年の春。 秋に刊行予定の岩波書店の『思想』のための研究会が開かれた時だった。 「ポスト国家・ポスト家族―ジェンダー研究の射程」とのタイトルがつくことになるその特集・研究会を率いるリーダとしてお目にかかった祐子先生は、一目にもこの上なく温和かつ知的な印象で、印象通りの方であることをその後再確認することができた。東京での最初の研究会の次に京都でも研究会が開かれたし、特集終了後も今度は「移動」をテーマとする 研究会に経済学者の伊豫谷登士翁さんに共に声をかけられて、その後も続けてお目にかかれる幸運を得たからである。
研究会は、現代の女性たちの移動や、私自身以前から関心を持ってきた引揚げなどに関して議論を重ねた。そして10年に及ぶ長い期間にわたって続いたおかげで、京都の自宅や研究旅行などで昼下がりあるいは夜更けまでご一緒しながら、研究からプライベートなことまでたっぷりとお話を伺うことができた。
名著『借家と持ち家の文学史』が翻訳されてソウル大学の招聘を受けて来られた時は、案内したり食事にご一緒した。日韓女性の生き方や日本文学やご専門の住まいのこと、そして現代の移動のことなど、お会いするといつも、話が尽きることはなかった。
研究会メンバーたちの研究成果をまとめて本にした(伊豫谷登士翁・平田由美編『「帰郷」の物語・「移動」の語りー戦後日本におけるポストコロニアルの想像力』、2013)あとは、お会いできる機会が減ったが、2014年に韓国語版『帝国の慰安婦』が訴えられた時は、起訴に抗議する知識人声明にも参加してくださった。訴訟をめぐってリベラルが真っ二つに割れ、競うかのように攻撃をはじめた人が多く、火の粉が落ちて来ないようにと、多くの人が沈黙を守っていた時期のことである。
そして2019年。刑事裁判第一審で勝訴したものの2審で敗訴して、最高裁判所の判決を待っていたとき、京都での仕事があってお宅にお邪魔したいと申し出た。祐子先生にもお会いしたかったし、その間亡くなられた西川長夫先生に別れのご挨拶をしたかったからだった。そこで食事は外でしましょうとお誘いしたが、外出は億劫だからと家に来るようにとおっしゃってくださった。

遠慮しきれずにご自宅へ尋ねたところ、お嬢さんまでいらっしていて、豪勢なご馳走とお二人の温かい笑顔が待っていた。牛筋のスープ、チキンと野菜の料理、とうもろこしご飯、メロンハムをなどのフランス式料理をいただきながら、失意の私を励まそうとされる気持ちが胸にジンと伝わってきて、つい涙が出そうになったものである。
そういう意味でも、まだ道中とはいえ、三つの 裁判のうち一つながら勝訴したことを報告できなかったことが無念でならない。その時一緒に撮った写真の後ろからは、亡くなられた西川長夫先生が笑んでいらっしゃった。5年前の秋口のことである。
祐子先生、いろいろ学んだことはもちろんのこと、温和な笑顔とあの日の温かいもてなしは一生忘れません。どうか、天国でもご平穏でありますように。改めて、ご冥福をお祈りいたします。
2024年7月15日 朴裕河
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