
第28回女性文化賞、受賞者の坂本菜の花さん(左)と米田佐代子さん
第28回女性文化賞決定のお知らせ
第28回女性文化賞は、坂本菜の花さんに決まりましたのでお知らせいたします。
坂本さんは、1999年石川県珠洲市で生まれました。小学5年生の終わりから、和歌山県の「きのくに子どもの村学園」へ転校。同中学卒業後の2015年の春、ひとりで沖縄に行き、珊瑚舎スコーレという無認可学校の高等部に入学、そこの夜間中学に来る戦争で勉強のできなかった沖縄のおじい、おばあたちとの交流や辺野古の米軍新基地地建設現場でのさまざまな出会いを通じて「沖縄」を「他人事」ではなく受け止めて行きます。「どうしたら自分ごとにできる?」と自問自答しながら「自分の居場所」をさがし、そのためにアンテナを張ってたくさんの人々とつながろうとする思いを「菜の花の沖縄日記」として北陸中日新聞に連載、珊瑚舎スコーレ卒業後の2019年8月に出版しました。
そこで坂本さんが気づいたことは、「辺野古を何とかしたい」という「正しい」ことを人に押し付けてはいけないということでした。意見が違っている人ともっとかかわりたい、辺野古の基地を条件付きで受け入れようという地元の漁師さんに出会ったとき、坂本さんはポロポロ涙が止まらなかったそうです。意見はちがうけれど「土砂が入れられている海を見る気持ちは同じ」と思ったからです。
その坂本さんの感性に惹かれた沖縄テレビの平良いずみさんの取材でドキュメントが生まれ、2020年に映画『ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記』として公開されました。そこで坂本さんは、「ちむぐりさ(肝苦さ)」とはたんに「かわいそう」とか「気の毒」という意味ではなく、「誰かの心の痛みを自分の悲しみとして一緒に胸を痛めること。それがウチナーンチュの心」と語っています。坂本さんが沖縄の現状を「自分のいたみ」として受け止め、「意見が違っても排除しない」という考え方にたどりついたとき、「ちむぐりさ」は坂本さんと沖縄をつなぐ一本の糸になりました。
それは、今世界を覆っている対立と分断の戦火の中で、人間はどうしたら相互に理解しあい、他者を受け入れて行くことができるかという根源的な問いに連なっています。そのために坂本さんが提起しているのが「わたしはわたし」という自己確立の視点であることに注目したいと思います。1911年に25歳で『青鞜』を発刊した平塚らいてうは、「女性はみんな自分の中にかけがえのない値打ちをもっている。しかしそれが押さえつけられて出せないだけだ。自分の思うことをどんどん出して行けば、きっと自分を見つけることができる」と考えました。法律や制度を変えることも大事だが、それだけで女性は解放されない。自分で考え、「わたしはわたし」として生きる精神が必要だというのです。そのようにして自己を確立した女性こそ「他者」を受け入れ、一致する点で協同できるはずだということをらいてうは「自分さがし」の模索のなかから発見したのでした。らいてうの精神は、100年後の坂本さんの中に生きているという気がします。
珠洲へ帰ってご自宅の湯宿「さか本」を手伝っていた坂本さんは、「くらしと教育をつなぐ」雑誌『We』に日常の「ハレ」と「ケ」のなかから「ケの話」を綴るエッセイを連載、その合間を縫って「辺野古の海を埋め立てる土砂には沖縄戦で亡くなった方たちの遺骨がまだのこっているのだから使わないでほしい」という請願書を珠洲市議会に提出する活動もされ、身体障害者のお父さんが車椅子生活になったこともあって旅館の営業を引き継ぐことになってから、2024年1月能登地震に出遭います。奇跡的に無事だった旅館では、避難所で過ごすことが困難な方や、避難所疲れをした人を一時的に受け入れました。さらに9月に能登半島を襲った豪雨で河川が次つぎに氾濫、珠洲市も大きな被害を受けましたが、湯宿「さか本」は無事で、自宅が断水した方がたへの支援として宿のお風呂を一時的に開放するなどの活動をされました。
坂本さんが、たくさんの人に出逢いながら自分で考え、「わたしはわたし」という自己認識と「他者のいたみを自分のいたみとして」受け止める他者理解の精神を育ててこられたこと、それを『菜の花の沖縄日記』や『We』で発信してこられたことは、対立や分断、差別や偏見による戦争や虐殺に満ちみちている現代世界にどういう意味を持つでしょうか。かつて美術史家の若桑みどりさんは、現代社会において「女性性」という枠組みにはめ込まれ、そのために「二義的」とされてきた人間性や生命の尊重、他者への愛といった理念を「社会原理の主流」に据え直す必要があると書きました(『戦争とジェンダー』2005)。そのためには女性自身が自分で考え、自分の言葉で発信し続けることが必要です。坂本さんは15歳で「沖縄」と出会って以来その道を歩いてこられました。その精神と行動力を「平和をつくり出す」女性文化創造の可能性を拓く一歩として敬意を表し、第28回女性文化賞をさし上げる次第です。
2024年10月10日
米田佐代子(女性史研究者)
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女性文化賞は、1997年に高良留美子さんが個人で創設され、2016年まで20回にわたってお一人で続けてこられた手づくりの賞です。「文化の創造を通して志を発信している女性の文化創造者をはげまし、支え、またこれまでのお仕事に感謝すること」を目的とし、賞金50万円、記念品として竹内美穂子さんによるリトグラフ一点を贈呈してきました。2016年第20回をもって最終回にされるとき、高良さんの「志を継ぐ方を」というよびかけに応じて、米田が2017年の第21回から上記の趣旨と「一人で決める」というスタイルを引き継ぎました。
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関連情報:
朝日新聞デジタル記事 能登半島地震
「女性文化賞」に珠洲で宿を営む坂本菜の花さん 「能登へのエール」
2024年10月10日 15時00分
https://digital.asahi.com/articles/ASSB93HBHSB9UTIL02RM.html
東京新聞 WEB
女性文化賞に坂本菜の花さん「能登へのエールだと思う」 「沖縄日記」の著者、珠洲市で湯宿営み震災復興にも尽力
2024年10月11日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/359611
高良留美子資料室サイト:
Kora Rumiko Reference room
https://korarumiko.wordpress.com/joseibunkasho/
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WANサイト関連記事:
高良留美子さん追悼―「女性文化賞」を引き継いだわたしから ◆米田佐代子 (女性史研究者・ミニコミ図書館運営メンバー)
https://wan.or.jp/article/show/9909
引き継がれる女性文化賞の志 ちづこのブログNo.111
https://wan.or.jp/article/show/7034
今年の女性文化賞が決まりました 最終回です
https://wan.or.jp/article/show/7015
第21回女性文化賞は千田ハルさん(釜石在住)
https://wan.or.jp/article/show/7625
第22回女性文化賞は久郷ポンナレットさん
https://wan.or.jp/article/show/8148
第23回女性文化賞を高橋三枝子さん
https://wan.or.jp/article/show/8760
第24回女性文化賞は、「『木の葉のように焼かれて』編集委員会」
https://wan.or.jp/article/show/10495
第25回女性文化賞は、長野県飯田市在住の相沢莉依さん
https://wan.or.jp/article/show/10495
第26回女性文化賞 東京出身の吉峯美和さん
https://wan.or.jp/article/show/10440
第27回女性文化賞 高麗博物館朝鮮女性史研究会が受賞しました
https://wan.or.jp/article/show/11642
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