2023年11月27日(月)受講レポート   酒井早苗

WANACの講義は第8回目を迎えた。マラソンに例えるなら、折り返し点を過ぎたが、まだゴールは見えず、一番、苦しい時なのかもしれない。レースを牽引する先頭集団とそれに続く後続集団に分かれるように、WANACも目次に取り組む人もいれば、書き始めている人もおり、進行状況にバラツキが出てきた。上野先生のご配慮により、第8回は二日間にわたり開講され、27日はいわばPART1である。

私たちは、この日、新たな段階に突入した。目次セッションの次には、いよいよ論文執筆の準備にとりかかるのだ。サンプルチャプターを書き、発表し、それに対し、コメンテーターがコメントするのである。書き手が講座の1週間前にサンプルチャプターをMLで配信し、参加者は予め目を通しておく。一人の書き手に2名のコメンテーターがコメントするので、複数の視点により、サンプルチャプターは批評される。
先行集団から書き手4名が名乗りを上げ、コメンテーターをそれぞれ指名した。これまで以上に刺激的な時間になりそうな予感がした。配信されたチャプターは、書き手の熱意が伝わるだけでなく、入念に分析したデータが示され、遅々として書けない自分自身が情けなくなる。コメンテーターがどのようなコメントをするのかも、興味津々だ。他人の文章の感想を口にしたり、感想文を書いたりしたことはあるが、コメントをした経験は私にはない。コメントとはどのようにするのか、きっと分かるはずと期待がたかまった。

いよいよ開始、サンプルチャプターの内容もさることながら、コメンテーターも丁寧にサンプルチャプターを読み込まれ、誠心誠意、コメントし、書き手がおそらく気が付かなかったであろう箇所を指摘していたことに感心していた。コメンテーターとは、なんとありがたい存在なのだろうか。が、しかし、上野先生より、コメンテーターの役割について、ご指導を受ける。コメンテーターとは、書き手の分析に異論や自分の解釈を提示することではなく、書き手の言いたいことを、より読み手に分かりやすくアドバイスすることであると。ならば、コメント力が付くと、おのずと自分の文章に対しても欠陥が見えてくるようになるのではないだろうか。

WANACで一斉にスタートを切ってから7か月。それぞれのペースで私たちは走り続けている。私は誰のためでもなく、自分のために走っている。沿道からは激励やねぎらいの声援はかからない。けれども、コメンテーターと言う伴走者をえて、見えないゴールに向かって走り続けていこう。スタートを切った時の初心を胸に。


WANAC 2023年11月28日(火) 受講レポート  森

「なんで、こんなことがわからなかったのだろう」。
上野先生にコメントをしていただくと、いつもこう思う。
頭のなかでしばらくのあいだ、ああでもないこうでもないと考えあぐねて絡まっていた糸が、
先生の手にかかると、スー―ッとほどけて一本の線になるような、そんな感じ。

この章、必要なのかなあ、でもセオリーだと要るんだろうなあ、と、
意志を持たぬまま目次に入れた章に対して、
「削除」。
この一言である。

WANAC初期の頃に提出した、ブレブレの研究計画書には、
「却下」。
と言われたっけ。

でも、まったく嫌な気分にならないのである。
他の人に言われたら違う感情を抱きそうなものなのに。
私は、ひとりで勝手に、上野先生の愛を受け取っているのだと思う。

WANACが始まって既に8回目の講義となった。
ノロノロ、スローペースな研究に対して、先生はこう仰った。
「どうしていいかわからない、じゃなくて、自分で決めるの」。
論文の指導というより、もはや人生相談の域。

残りの講義の方が少ないなんて信じられないけれど、春が来るまでにカタチにしたい。
それが、1年にわたるご指導へのせめてものお返しなのだと思っている。


第七回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10897
第六回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10842
第五回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10810
方法論ゼミレポート  https://wan.or.jp/article/show/10802
第四回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10754
第三回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10714
第二回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10645
第一回レポート    https://wan.or.jp/article/show/10703