メディアの戦争責任 ちづこのブログNo.168
2026.06.16 Tue
京都新聞社が「京都戦時新聞」を新聞紙サイズの復刻版調で出版した。1941年12月の開戦から、45年9月の敗戦直後までを編集して再現したものだ。紙質も当時よりずっとよいし、フォントも旧字でなく新字だし、活字のサイズも大きいし、往事の新聞とはくらべものにならない読みやすさだが、大きな活字で踊る開戦日の「『撃滅せよ!!世界の敵米英』今こそ国難に殉死せよとの叫び」とか、厭戦気分の出てきた四年目の「防空壕生活は工夫で楽しく」などは当時のリアル感が伝わる。
2025年は敗戦80周年。その1年前から20−40代の若手の記者12人で制作チームを構成し、準備したものという。戦争経験者はすでに90歳以上、生存者の証言を聞く機会も少ない、いわば孫世代の記者たちだ。敗戦特集はどのメディアでもやるが、自社の戦時下報道を振り返って「新聞社がおかした過ち」の記録を再現した例を他に知らない。翼賛報道をして戦意を煽った先輩たちの反省を反省とするには、自分たちが担っているメディアの戦前-戦中-戦後の連続性と、そのメディアへの帰属意識を持つ必要がある。戦争を全く知らない若い記者たちがこんな企画を立てて、それを組織として遂行した京都新聞の姿勢は尊敬に値いする。紙面には当時の記事の再録だけでなく、今日の眼からみた沖縄戦における日本兵による住民殺害や、女性蔑視のもとでの女性の戦争協力も記載されている。
新聞はプロパガンダ、つまり洗脳装置である。「本紙は軍部による検閲や圧力の被害者だっただけではない。読者をあおり、戦争に駆り立てた加害者でもあった」とある。解説を書いた西山伸さんがおもしろい指摘をしている。「絶望的抗戦の時期になってから、メディアでは『鬼畜米英』などの敵方の残虐性を強調する記事が増える」と理解していた西山さんは、朝日新聞のなどの全国紙にくらべて京都新聞には「そういったファナティックに敵意をあおる記事はほとんど見られなかった」と言う。そういえば京都は空襲に遭わなかっただけでなく、「天皇」の名のもとに行われる戦争に冷淡だったかもしれない。1990年代の世論調査によると天皇に対する親しみがもっとも少ないのは、沖縄とならんで京都というデータを見たことがある。捨て石になった沖縄の気持ちはわかるが、京都はたびかさなる権力者の交代に耐えてきた土地柄だ。どんな権力にもなびかない、したたかさを感じる。とはいえ、戦時下も日常生活を維持してきた京都人は、敗戦の衝撃も薄く、戦後満洲から着の身着のまま引き揚げてきた人たちにすこぶる冷淡だったという証言もある。地方紙ごとの比較ができるとおもしろい。
「戦時下の報道統制に協力し、戦局の実態や空襲被害を報じなかったという過去の過ちに、現代のメディアとして向き合う」という姿勢は、今日にも貫かれるだろうか?圧倒的安定多数を制した政権に対する忖度や自主規制はないだろうか?過去の振り返りは、現在の自己点検につながることを忘れないでもらいたい。
京都新聞2026年6月14日付けコラム「天眼」掲載(許可を得て転載)
【お知らせ】 『京都戦時新聞』出版記念シンポジウム「いま、京都で戦時新聞を読む」6月21日15時〜(配信あり)
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1697622
https://x.com/kyoto_np/status/2053685277936267698?s=20
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「立法府の総意」に異議あり!WAN理事会有志
2026.06.16 Tue
皇族数確保に向けての「立法府の総意」が公表されました。
皇室のジェンダー非対称性を温存し、家父長制を強化するこの「総意」に反対します。
これは国民の「総意」ではありません。
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<会員プレゼント>女の本屋で紹介の著書を差し上げます
2026.06.15 Mon
書名:中西豊子・著『新版 女の本屋の物語』
*紹介記事はこちらから
本書を先着10名さまにプレゼントいたします。
ご希望の方は、メールの件名に「本のプレゼント希望」と書いて、書名、お名前、住所、メールアドレスまたは電話番号を明記のうえ、npoアットwan.or.jp 宛にお申込みください(アットを@に変換してください)。
*応募締切り:先着10名様になり次第、締め切らせていただきます。
発送をもってお返事に代えさせていただきます。
プレゼントのお申込みは、現在NPO法人WANの会員(会費納入済)である方に限らせていただきます。
ユーザー登録だけではご応募いただけませんので、ご注意ください
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惜別 田中喜美子さんの残した想いをつなぐ ◆小野喜美子(『Wife』編集長)
2026.06.15 Mon
「私は家つき娘だからダメなのよね」
これが今年の1月に95歳で逝去された田中喜美子さんの、ここ数年の口癖だった。実は、田中喜美子さんはお父様が戦前大蔵官僚だったという深窓のご令嬢。わいふ編集部(後述)は田中さんのご自宅の片隅にあったのだが、そこは市ヶ谷にある何百坪もの大豪邸。結婚で姓は変えたものの、彼女は生涯そのお屋敷に住み続けた。
ろくに家事をせず、昼まで寝ているとんでもない主婦だった、それは経済的に夫に依存する必要がなかったから、「家つき娘」だったからだとご自身でディスっておられたのだが、さて、それがそんなに重大なことなのか? 訪問するたび繰り返される田中さんの嘆きの真意を掴むことができず、私はいつも愛想笑いを返していたものだった。
田中喜美子さんは、1976年、それまで関西を拠点に12年間続いてきた投稿誌『わいふ』(現『Wife』)を引き受け、その後30年間編集長を務めた。その間、全国から様々な女性の声が彼女のところに集まってきた。
「間違っているのはあなた」
「我慢するしかない」
「諦めろ」
そんな声に囲まれて身動きとれず、小さくなっていた女性たちに、キラキラした瞳と明るい声で、「あなたの考え方は面白いわね、書いてみない?」と田中さんは声をかけた。
その言葉をきっかけに生きる力を取り戻した女性は数知れず。『わいふ』に書くことで自分の立ち位置をシッカリ見据えて、何人もの女性が社会にはばたいていった。
それだけではない。学校教育の改革に、子育て支援に、そして女性の政治参加促進にと様々な活動に田中さんは携わった。口癖は「みんなで、なんとかしよう」。おかしいと思ったら、黙ってちゃあいけない。考えよう、声をあげよう。その姿勢をずっと貫いてこられた。
今、田中喜美子さんを失って以降半年の、この世界秩序の崩壊を前にして、晩年の彼女の想いが、やっと私にもわかってきたように思う。
田中さんは日本という国の行く末をずっと心配しておられた。政府に苦言を呈しているのだと思っていたが、それだけではないと思う。
田中さんは30年間にわたり『わいふ』を通じで女性のナマの声を聞いてこられた。そしてその声の中に、たくましさ、生来の健康さを感じてこられた。彼女たちのエネルギーを育むことで、世の中は良い方向に向かう。そう信じておられたのだと思う。
だが、いつの頃からか、女たちは田中さんの思う方向には動かなくなった。世の中は厳しい方向に向かっているのに、動こうとしない。どうして(一昔前のように)女性たちが動かないのか。それは「自分が(普通の)女性の苦労や立場を知らないから。家つき娘の私には、動かない女たちの思いがわからない」と嘆いておられたのではないかと思う。
田中さんは『わいふ』の編集から退かれた後も、身銭を切って、女性のための政治誌『ファム・ポリティク』を発行しておられた。それは、『わいふ』に書いてくる生活者たちが、地に足をつけて生きる人たちが大好きだったから。そんな人々を道具のように消費する今の日本に憤り、なんとかこのしくみを変えようと、最後まで心をつくしておられたのだ。
亡くしたあとでなければその想いに気づけないとは、我が身のボンクラさは情けない限りだが、遅まきながらバトンは受け取った、と思う。でも、このバトンを次の世代に渡すにはどうすればいいのか。いや、それを考えること自体が、私が田中さんから託された課題なのだろう。家つき娘ではない私なのだから、できるはず。と、自分に言い聞かせてみる。
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