ひかりさんから WANにいただいたメッセージ
2026.04.21 Tue
ひかりさんは、元大阪地検検事正による性犯罪被害、副検事と検察組織による二次加害の被害を受け、
そしていま、性犯罪の根絶と被害者への二次加害をなくすために声を上げ、note(オンラインのメディアプラットフォーム)などで発信をしています。
WANサイト宛に、ひかりさんから以下のメッセージをいただきました。画像:ひかりさんからWANサイトにいただいたメッセージ2025年1月15日からひかりさんは、note で発信をしています。第1回 note
どうぞアクセスしてひかりさんの言葉に触れてください。
ひかりさんのnote https://note.com/unmetempathy0111
2026年4月4日公開 第23回のnote https://note.com/unmetempathy0111/n/n9b237a4d0472 には、3月31日100名の方々が参加した支援集会や、大雨の中での法務省前でのスタンディングについて記されています。
・支援する会のX https://x.com/with_hikari2024
・メディアの記事や報道情報
も読むことができます。
あきらめず、正しく怒り、進む、ひかりさんを、これからも応援し声をあげてまいりましょう。
署名サイトより◾️支援する会のX は https://x.com/with_hikari2024
( X は登録したアカウントからログインすると読むことができます)
◾️署名 は こちら
「北川健太郎元大阪地検検事正による卑劣な性犯罪と副検事によるセカンドレイプの厳正な処罰を求めます #声を上げたことを後悔させない」
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カテゴリー:マイアクション / 進行中
言葉は言葉をつないで糸となり、もう一つの言葉を生んでゆく(旅は道草・195)やぎ みね
2026.04.20 Mon
いつも不思議だなと思う。言葉は言葉をつないで糸のように絡まりあい、やがてもう一つの言葉が生まれて、その言葉を受け止めた人だけでなく、周りの人にも伝わって、やがて本が生まれてくるのだと思うことがある。
前々回のエッセイ「『ゆっくり歩く』を、ゆっくり読もう」(旅は道草・193)で、小川公代さんが、難病を患われた母上にハン・ガン著『少年が来る』(井手俊作・訳、CUON)の主人公トンホの言葉を語り伝えて母上が立ち直られ、また前回のエッセイ「「女+フェスティバル」2026に、元気をもらった」(旅は道草・194)で、斎藤真理子さんが、ハン・ガン著『別れを告げない』(斎藤真理子・訳、白水社)を採り上げ、「韓国の女たちは決して過去を哀悼で終わらせない」と語る言葉に勇気をもらって、「ぜひ、ハン・ガンの本を読まなくちゃ」と思った。
ハン・ガンは2024年10月10日にノーベル文学賞を受賞。「歴史的トラウマに立ち向かい、命のもろさを浮き彫りにする強烈な詩的散文」が評価されたという。しかも50代の若さで。2024年12月7日、ストックホルムで行われたノーベル文学賞受賞記念の挨拶「光と糸」の中で、ハン・ガンは、これまでどんな小説を書いてきたかを語っている。早速、ハン・ガン著/斎藤真理子訳『光と糸』(河出書房新社、2025年12月)を買って読む。
1980年5月の「光州事件」(韓国での正式名称は「五・一八光州民主化運動」)の4カ月前まで9歳のハン・ガンは光州に住んでいた。後に光州で起こった虐殺事件の900人の証言を毎日9時間ずつ1カ月かけて読み、他の国家的暴力に関する資料もあわせて、2014年に『少年が来る』を書き上げる。
資料を読み込む中で、「現在が過去を助けることはできるか?」「生者が死者を救うことはできるのか?」という問いかけが、やがて「過去が現在を助けることはできるか?」「死者が生者を救うことはできるのか?」と、「主語と目的語が逆転していった」とハン・ガンは語る。
さらにハン・ガンは、2017年から2年ほど済州島とソウルを往復して、1948年に起きた「済州島四・三事件」の虐殺生存者の証言を読み、資料を駆使して、7年をかけて2024年に『別れを告げない』を書いた。今、映画「済州島四・三事件 ハラン」(監督/ハ・ミョンミ)も上映中だ。
「傷と痛みと回復の過程を描く作家。それを通して人の尊厳のありかを示す作家。人間であることが耐えられないような残酷な歴史に分け入って、人類の小さな声を聞き取るために努力を重ねてきた作家。それがハン・ガンだ」と、訳者の斎藤真理子さんが『光と糸』「あとがき」に書くように、まさしくその表現がノーベル文学賞に値するものだったのだと思う。
それはまた偶然にも、2024年12月3日、韓国の元大統領・尹錫悦の「非常戒厳」宣言の政変後に沸き起こった多くの市民による元大統領への退陣要求運動の支えにもなっていく。「1980年5月が、2024年12月を救った」を合い言葉に。
そしてハン・ガンのノーベル平和賞を祝い、出身地光州市では「ハン・ガン! ありがとう! 五月はいまや世界の精神!」の垂れ幕が掲げられたという(同じく『光と糸』「あとがき」より)。まさにこれは「過去が現在を助けて」「死者が生者を救うことができた証」ではないか。
「小説を、私は身体を使って書いている。見て、聞いて、匂いをかぎ、味わい、柔らかさ、温かさと冷たさと痛み、心臓の鼓動とのどの渇きと空腹を感じ、歩き、走り、風と雨と雪を浴び、手を取り合い、こうしたすべての感覚のディテールを使用する。限りある生命を生き、また温かい血が流れる体を持った私が感じるこれらの生き生きとした感覚を、電流のように文章に吹き込もうとし、その電流が読む人たちに伝わったと感じたときには驚き、感動する。言語が私たちをつなぐ糸だということ、生命の光と電流が流れるその糸に私の問いが接続していると実感する瞬間に」とハン・ガンは受賞の挨拶文を結んでいる。いかにも詩と小説を結び合わせる「言葉の力」が溢れる文章だ。
だからこそ、「世界はなぜこれほど暴力的で、苦痛に満ちている?/と同時に、世界はなぜこれほど美しいのか?」という両義的な問いを問いかけるハン・ガンの本を、もっともっと読んでみたいと思った。
そしてもう一人、言葉に魅せられた詩人がいる。茨木のり子著『自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ』新装版(選・観賞解説/高橋順子、小学館、2009年)と茨木のり子著『ハングルへの旅』新装版(朝日文庫、1923年)を手にとって読む。
「りんとした声、歯切れのいいひびきが、どの詩の中にもみなぎっている。それは、挫けがちの自分を、そして他者を励ましながら、明るいほうへ、快活なほうへ手を差し伸べる、強靱でしなやかな精神から迸りでたものである」と選者の高橋順子は「時代を超えて、りんと」に書いている(『自分の感受性くらい』「はじめに」より)。
のり子は1926年生まれ。1945年、敗戦時は19歳だった。5年前に98歳で亡くなった私の母は彼女より3つ年上の同じ世代。母は、ままごとやお人形遊びが大嫌い、男の子とケンカして泣かせてばかりのオテンバだった。意気地なしの私とは違って、今の時代、あの母が生きていたら、きっとキャリアウーマンになっていただろうな。
「男の子をいじめるのは好き/男の子をキィキィいわせるのは大好き/今日も学校で二郎の頭を殴ってやった/二郎はキャンといって尻尾をまいて逃げていった」(「女の子のマーチ」より)
「駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」(「自分の感受性くらい」より)
こんな詩を読むと、ひよわな志しか持ち合わせていない私なんか、「ばかものよ」と厳しく喝を入れられて当然と思うのだけれど。 そして茨木のり子は最愛の夫を亡くした翌年の1976年、50歳の時、朝日カルチャーセンターで「ハングル講座」を学ぶことになる。「隣の国のことばだから」「隣の国のことば――それはもちろん、南も北も含めてのハングルである」「はじまりが半分」と断言して。
そして日本の侵略時代、「(日本が)朝鮮語抹殺政策を徹底させながら、遂にたたきつぶせなかったことは、日本が敗退してすぐ、ハングルが息を吹きかえし芽ぶいてきたことでもわかる。見えないところで脈々と地下水のように流れていたのだ」と書く。
「儒教をとり入れて500年、長幼の序、実に厳然たる国である。一歳年上でも、敬語を使わなくてはいけないし、それを怠れば世間は黙ってはいず社会的制裁がある」と、ハングルを学ぶ中で茨木のり子は、彼の国の文化を再確認していく。
ハングルと日本語は、主語・目的語・述語の語順の並びは同じだが、言葉づかいの違いは、さまざまにあるようだ。本書はハングルを学ぶ難しさと楽しさが詳しく書かれている。また現地を訪ねる「旅の記憶」も実に味わい深い文章だ。
最後の章「こちら側と向こう側」の終わりに書かれた「尹東柱」の詩に、ジンと胸を打たれる。尹東柱は1945年、敗戦のわずか半年前の満27歳で、福岡刑務所で獄死させられた詩人。立教大学と同志社大学で学んだクリスチャンでもあった彼は独立運動の嫌疑で下鴨警察署に掴まり、福岡へ送られた。同志社大学の今出川校地の中庭には尹東柱の墓碑があり、いつも供えられている花々が絶えることはない。韓国からの修学旅行生たちも、よくそこを訪れるという。
1984年、尹東柱の全詩集『空と風と星と詩』(記録社)が伊吹郷氏の訳で出された。朝鮮語弾圧の時代に敢然とハングルで書いた詩を手紙といっしょに送られてきた友人が、それを甕(かめ)に入れ地下深く隠して保存していたために辛うじて残されたのだという。あと半年、生き存えていたら解放後の母国で大いに活躍した詩人であっただろうに。あまりにも早すぎる死を無念に思う。
一方、はるか昔の日本の鎖国時代、朝鮮王朝から江戸へ「朝鮮通信使」が、200年間に12回も公式使節団として漢城(ソウル)と江戸の間を往復していたという。李氏朝鮮と江戸幕府を仲介したのが対馬藩で外交官として活躍した近江出身の雨森芳洲だ。幼少より木下順庵に朱子学を学び、新井白石と並んで「詩の白石、文の芳洲」と称された。木下順庵の推挙で対馬藩へ士官。朝鮮語と中国語を深く学んだ学識と教養で対馬藩「朝鮮方佐役」に抜擢されることになる。
雨森芳洲庵の名物館長・平井茂彦著『雨森芳洲』(2004年11月)に詳しく書かれている。
「通信」とは「信(よしみ)を通(かよ)わせる」という意味。雨森芳洲が記した『交隣提醒』の五十四条には「誠信と申し候は、実意を申す事にて、互いに欺かず、争わず、眞実を以って交り候を、誠信とは申し候」とある。この言葉を今の日本の政治家の面々にぜひ読ませたいものだ。日朝・日韓関係しかり。日中関係しかり。
(奥びわこに「雨森芳洲庵」を訪ねて(旅は道草・58)やぎ みね)2014年11月20日
そして、もう一人の詩人・金時鐘著『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ』(岩波新書、2015年)も忘れられない1冊。第42回(2015年)大佛次郎賞を受賞。
金時鐘は1929年、釜山生まれ、青年期、済州島で育つ。日本統治下、日本語をすすんで学ぶ。朝鮮半島は1945年、解放と独立。米ソ冷戦下の1948年4月3日、「済州島四・三事件」が起こり、金時鐘は、若い「サフェジュイジャ(社会主義者)」として参加する。同年8月15日「大韓民国」、9月9日「朝鮮民主主義人民共和国」が38度線を挟んで樹立。翌1949年、金時鐘は「父の、あらんかぎりの奔走により」、日本へ脱出する。以後、大阪・猪飼野で暮らすことになる。1998年、金大中大統領就任を機に「朝鮮籍」だった同氏に臨時パスポートが発給され、49年ぶりに訪れた済州島で父母の墓にぬかずくことができたという。
(信(よしみ)を通(かよ)わせるという希望(旅は道草・73)やぎ みね)2016年2月20日
3月末、娘と孫娘は友だちの母娘と共にソウルへ2泊3日の旅に出かけた。行きはエアソウル、帰りはアシアナ航空の格安便で往復。円安のさなか、いろいろと工夫して今どきの若い人向けのソウルをたっぷり楽しんできたようだ。私はお留守番。
去年の夏、10年のパスポートをとったから、もう少し円安が収まったら海外旅行に飛び立つからね。まずはお隣の国へ。さらには、かつて何度か旅した中東やヨーロッパの国々の思い出の地へ、必ずや再訪するからね。
言葉と言葉は糸となり、たとえ国は違っても、人と人を結ぶ心の糸は、きっときっと細く長くつながってゆくことを信じて。
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カテゴリー:旅は道草 / 連続エッセイ
WAN最終講義アーカイブ 三橋順子:セクシュアル・マイノリティ論の新たな枠組み―「LGBT」を超えて―.
2026.04.19 Sun
https://www.youtube.com/watch?v=hUlDrVmTRHEWAN最終講義アーカイブに、以下の最終講義を加えました。
【最終講義をされた方】
三橋順子(みつはし じゅんこ)さん
【最終講義のタイトル】
明治大学文学部「ジェンダー論」最終講義「セクシュアル・マイノリティ論の新たな枠組み―「LGBT」を超えて―」
【最終講義日時】
2026年3月10日
【会場】
明治大学駿河台キャンパス・リバティータワー
【退職年月日】
2026年3月31日
【専門分野】
ジェンダー&セクシュアリティの歴史学研究、とりわけ、性別越境(トランスジェンダー)の社会・文化史。及び、買売春(主に昭和戦後期)の歴史。
【プロフィール】
1955年、埼玉県秩父市生まれ。1995年頃から男性から女性への性別越境者(Trans-woman)の立場で講演・執筆活動を始め、2000年に中央大学文学部兼任講師(現代社会研究)に任用され、日本で最初のトランスジェンダーの大学教員となった。2005年にはお茶の水女子大学非常勤講師として専論講座としては日本初となる「トランスジェンダー論」の講義を担当した。その後、多摩大学、都留文科大学、群馬大学(医学部)、東京経済大学、明治大学、早稲田大学、関東学院大学などの非常勤講師、慶應義塾大学法学部招聘講師を歴任。
著書に『女装と日本人』(講談社現代新書、2008年)、『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、2018年)、『歴史の中の多様な「性」―日本とアジア 変幻するセクシュアリティ』(岩波書店、2022年)、『これからの時代を生き抜くためのジェンダー&セクシュアリティ論入門』(辰巳出版、2023年)。
【最終講義の概要】
第1部では、「LGBT」という枠組みの限界を指摘し、「SOGIE」概念の再考(再興)を提唱する。
第2部では、アジアから「性」の枠組みを見直すべきことを提唱する。具体的には、男性「同性愛」概念の4類型化、それに関連して、イスラム社会で同性愛が厳禁とされていることの再検討、身体本質主義ではなく「なり」(gender expression)を重視したセクシュアリティのあり様について述べる。
<構成>
ご挨拶
第1部 「LGBT」という枠組みを見直す
1 「LGBT」という枠組みについて
2 「SOGIE」概念の再考(再興)
3 T(Transgender)の課題
第2部 アジアから「性」の枠組みを見直す
1 アジアから見直すべきもの
2 男性「同性愛」概念を見直す
3 イスラム社会では、同性愛は厳禁とされているが・・・
4 「女なり」の話 ―「性的指向(sexual orientation)」概念を見直す―
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カテゴリー:最終講義
「低負担低福祉」の自己責任社会へ? ちづこのブログNo.167
2026.04.19 Sun
高市早苗首相が博打に出た2月の「自己都合」解散に伴う総選挙で、各政党はのきなみ消費税減税と保険料削減を唱えた。参政党、共産党、れいわ新選組、社民党はもとから消費税廃止組。国民民主党は5%への減税。そこへかつて消費増税を唱えた民主党の流れを汲む立憲民主党も、公明党と共に設立した中道改革連合では食料品に限って廃止。自民党と維新の連立与党は、野党の政策に「抱きつき」戦略で2年間に限って食料品の消費税廃止を打ち出した。チームみらいだけは消費税廃止を打ち出さなかったものの、代わって保険料の減額を打ち出した。維新、国民民主、参政、共産、れいわも、軒並み保険料引き下げを公約に掲げた。
財源がなくなるとどうなるのか?とりわけ社会保障税として使い道が指定された消費税が廃止されると、約25兆円の減収、5%になるとその半分、食料品に限ると5兆円の減収になる。代替財源が取り沙汰されているが、手当てがつかなければ社会保障財源が減少する。保険料も減額すればその分の原資が減る。結果は社会保障の削減だ。負担の低下が給付の低下につながることに各政党が口をつぐむのは、フェアではない。
日本の国民負担率は税金・社会保険料を合計しておよそ国民所得の46%。これが5割に近づいたことを、江戸時代の米を納める割合になぞらえて「五公五民」などと揶揄するひともいるが、諸外国と比較すると、国民負担率6割前後の欧州諸国と3割台のアメリカとの中間に位置する、日本は中負担中福祉の国家である。そのおかげで格差社会アメリカにはない、公的医療保険や公的介護保険が成り立っている。まだまだ十分とは言えないが、日本は相対的には社会保障が充実した社会なのだ。
政権与党が圧勝した国で、選挙民はほんとうに「低負担低福祉」をのぞんでいるのか。それをくつがえすデータを、医療経済学者の二木立さんが『文化連情報』1月号に示していた。それによると、直近の6つの意識調査を分析したところ、「給付も負担も減らす」のに賛成したのはどの調査でも1〜2割に留まり、むしろ多数の国民は「現在の給付水準維持するためには負担増になってもかまわない」と考えていることがわかる。
ちなみに福祉ジャーナリスト、大熊由紀子さんは、国民負担率と呼ばずに、「国民連帯率」と呼んだ方がよい、と提言する。二木さんも「国民皆保険は日本社会の『安定性・統合性』を維持するための最後の国民連帯の砦」と言う。介護保険も「おたがいさま」の社会の証なのだ。
負担なきところに給付はない。政策論争をするなら、負担と給付をセットで主張すべきなのに、負担の話が多く語られない現状は無責任というほかない。高市首相は消費税減税に積極的だが、借金し、投資する「責任ある積極財政」を推進するともいう。これは「無責任な積極財政」とならないか。
二木さんは、日本の納税者が負担増に消極的なのは、政治不信が原因だという。私もそのとおりだと思う。高市首相は自民党総裁として、実態解明の進んでいない裏金問題に関与した元議員らを公認して選挙を戦った。政治不信を解消しない政府を国民が選んだことで、「低負担低福祉」の自己責任社会への舵を切ったことになるのだろうか?
「朝日新聞」2026年3月17日付け北陸版「北陸六味」から許可を得て転載。
朝日新聞社に無断で転載することを禁じる(承諾番号18-5999)
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